capriccioso

気まぐれに

2024年4月22日 かたち

このごろ、小説とか詩とか、随筆とか、テクストの纏う形に敏感になった。

幼い頃、私にとって小説とは逃げ場だった。

振り返りたくない過去がもたらす罪悪感、生きることに対する同級生との温度差、ずいぶん長く思えたこれからの人生。小説を読んでいるときだけは、それら全てから逃れ、人目を気にせず息をすることができた。
深い海に潜っているような気持ちになって、このまま浮上せず、この世界に浸っていたいといつも思っていた。あるときは主人公に強烈なわたしを感じ、またあるときは、わたしがどこにも存在しない世界を楽しんだ。
そうするうちに、私は輪郭を保ったまま、空っぽになっていけるような気がした。

去年の夏、詩に出会った。
そこそこまともに生きていると思っていたわたしに、詩の言葉はあまりに眩しかった。
詩は生きたいと願う人の言葉だと思った。それに比べて、わたしはあまりに死を希いすぎていた。
違う生物を見るような目で、わたしは詩を眺めた。
書くことが私を生かしてくれるかもしれないとペンを手に取ることさえあった。
日の光からこぼれるようにして生まれた一篇の詩はわたしの一縷の希望となったけれど、そのような瞬間が再び訪れることはなかった。

今のわたしには、随筆がなじむ。随筆は日常に寄り添ってくれるものだから。
失われかけた日常を取り戻そうと、バラバラになったパズルを埋めるように、それぞれのピースの形を眺めてみたり、全体を俯瞰してみたりしているが、ひとが日常について語る言葉は、そうした行為ひとつひとつを支えてくれるような気がする。

朝になってベッドから起き上がり、ごはんを食べて、一日の活動を始める。作業に没頭しては、昼ごはんを食べ、また作業に舞い戻る。そのどれもが当たり前ではなくなってしまった今、日常のなかの些細な気づきを軽やかに披露してみせる随筆は、ほんのわずかな勇気を私に与えてくれる。
なんでもない日々を味わってみようという勇気。何もできなくなった自分を許してみようという勇気。

いつの日か、パズルのピースがぴたっとはまる日が来るのかもしれない。希望を抱くには勇気が必要。

かたちは違うけれど、言葉の世界が今もわたしを支えてくれている。

見知らぬ人の日常にそっと耳を傾けながら、今日一日を生きてゆく。

2024年2月20日 記録3

穴に落ちたみたいだ。

急に嫌な思い出に引き戻されて、なかなか抜け出せない。

ずいぶん前のことで、彼らがしたこと、取った態度が本当に不当なものであったか、客観的にどうか、は分からないのだけど、ともかく嫌な思い出としてわたしの中に刻まれており、この数年、忘れた頃にひょこりと顔を出す。

不調の原因の多くを占めているように思えるのだけど、実のところこの記憶をどう扱っていいかわからない。

薬が効いているようで、深く落ち込むことはなくなったのだけど、不意に連絡があり、また元に戻ってしまった。

 

断るということが特に苦手だ。

自分がしたいかどうか、よりも、すべきかどうかで判断してしまう。

その時の判断がのちのち重くのしかかってきて、どんどん自己嫌悪に陥る羽目になる。

好きに生きる、自由に生きる、ということが、今の私にとってどれほど難しいことか。

2024年2月2日 記録2

大したことはなかった。

受付をして、問診票を書いて、先生とお話しして、薬を受け取る。

火傷したときの皮膚科、急につま先が痛くなったときの整形外科。手続きにはなんの違いもない。

ただ症状を説明するときだけはもどかしい。

質問を受けるうちに、やっぱり大したことなかったんじゃないか、大袈裟だと思われてるんじゃないかという気がしてくる。

何より、何に困っているか、自分でもよく分からない。

落ち込んだり、動けなくなったり、そういうときは記憶も認識も曖昧だし、もともとはどうかと聞かれると……。はて、どうだったろう。うまく答えることができない。

身体の痛みでさえ(気のせいではないかという疑念ゆえに)説明には苦労するのに、より漠然とした不調をどうやって言葉にすればよいものか。

戸惑ううちに、診察は終わった。

ただ薬をもらいに来ただけだと思うと、少し休まる。
抜本的な解決など、今は望んでも仕方がないだろう。
どこからどこまでが患部なのか、それすら分からないのに。

問診票に、治療を終えたらどのような生活を送りたいかという欄があった。何も思い浮かばなかった。ただ、人並みに生きてみたい。何が人並みなのかも分からないけれど。

2024年1月30日 記録1

この半年間、いかに死ぬべきかということを考え続けていた。

何がきっかけなのか、自分でもよくわからない。

ただ、ふとした瞬間、何かに引き摺り下ろされるように、いつ死ぬか、どうやって死ぬかということしか考えられなくなるときがある。

そういうときは、家族に電話をかけて気を紛らわせてみたり、あるいは具体的な方法を調べて慄いてみたりするが、そうこうしているうちに疲れ果てて寝てしまい、目覚めると朝、そこで少し気を取り直す。

今のところ、具体的に何か行動を起こしたということはないのだけれど、何か、わずかな力に押されて、全く違う自分になってしまうような気がして、少し怖い。

幸い、カウンセリングに漕ぎ着け(1年ほどの躊躇ののち)、もうすぐ精神科の受診すら控えているのだけれど、それはそれで、何か違う自分になってしまうような(そう人に見られるような)気がして、少し怖い。

そんななか、訃報に接して、ずいぶん狼狽えてしまった(一方で、片隅には、ダム、という新たな選択肢)。

彼女の置かれた状況を思えば、私の(必ずしも何かがあるわけではない)事情などたいしたことではないと思えるが、それでもやはり、彼女も何か見えない力にぽんと背中を押されたのだろうという気がしてならない。

昨年は2万ほどのひとが自ら命を絶ったという。自分もいずれそのうちの一人となるのか、あるいは全く違う自分になっているのか。今は想像もできないけれど、その何か、その力はいつ訪れるだろうかと、青空をみやりながら、思い馳せている。

2023年6月13日 珈琲

5時と6時に鳴り始めたアラームを二度も止め、7時になってようやく身を起こす。我ながら恐るべき意志の強さである。買っておいた食パンの最後の一切れをトーストし、時間差でコーヒーを入れる。コーヒーを入れるかどうか、随分悩んだ。

コーヒーを飲むと寿命が伸びることを示すデータがあるのだと、どこかで耳にした。なるほど、5杯くらいまでは飲めば飲むほど平均寿命が長くなる傾向にあるそうだ。けれども、少し考えてみる。そもそも人は健康なときにしかコーヒーを飲まないのでは?元気がないときに、自分のためにコーヒーを入れるなどという労をわざわざ取るだろうか。と思うくらいには、コーヒーを淹れるのが面倒な朝。

実際のところどうかは知らないが、健康情報はほとんど占いのようなものだと思っている。時代とともに常識は変わるし、ネットには本当かどうか分からない研究結果が分かりやすい記事となって私たちのもとに流れてくる。

それでも普段生活に取り入れているものが健康に良いものだと知ると、不思議と自分が誇らしい。簡単に真似できそうなものがあればすぐに試したくなる。基本的には信じたいものだけを信じている。そういうものなのだと思う。

どれだけ社会を知ろうとしても、そのために学びを深めても、結局人は見たいようにしか見ないのだという諦念が一方にある。この限界を可能な限り打ち崩すためにここまで来たようなものだけれど、簡単に崩れてはくれない現実が今日もほろ苦い。

2023年5月17日 徹夜

6時起床。二度寝して、7時ごろようやく身を起こす。昨日からズキズキと痛む喉には快調の兆しがなく、調理意欲が沸かないからカップのヨーグルトにシリアルをのせて無理やりかき混ぜる。「洗い物なんてないに越したことないですからね」と言い訳しながらソファに沈みこむと、ようやく目が覚めてくる。

それでも近頃は随分早く起きれるようになった。歳を重ねるごとに無理が効かなくなる。学部生のころは平気で夜を明かしていたのに、今では調子を崩すから躊躇するようになった。規則的な生活を送るよう努力することが、今のコンディションにはちょうどいい。

覚えている限り、初めて夜を徹したのは被災したときだ。電気が復活するまで、夜にできることは何もなく、昼間は家族とともに雑事をこなさねばならなかったので、一人の時間というものが存在しなかった。

電気がつくようになった最初の夜、たった一人で数学の問題に向き合うことのできる安らぎを噛み締めた。決して得意ではなかった科目にうんうん頭を悩ませているその間だけ、今自分を取り囲む環境を忘れることができた。

テレビもつかず、学校にもいけず、ただ、たくさんの人が亡くなって、誰かが、誰もが死んだのだと思えたあの日々、庭で放射線量を確かめながら、もしかしたら私だって死ぬのかもしれないという不安が密かに芽生えたあの日々をどうやって乗り越えたのか、今となっては分からない。

けれど、そうした夜を卒業しようとしていることはなんだか嬉しい。眠れない夜なんてないに越したことはない。家族と顔を合わせるその前に、自分が自分であること


……5月17日の日記はなぜかここで途切れている。しかも今日ブログを開くまで、書いたことすら忘れられていた。

いつも思うことだが、文章は終わらせるのが難しい。

2023年4月20日 終末

Londre, 2019.

たいそうなことを言って、そのうちすぐに飽きてしまうのが私の常である。3ヶ月ぶりにページを開き、たった数記事を書いてほっぽりだしていた自分に「相変わらずですね」と呆れたように笑う。ここまでが、私の常。

ときどき面白いブログに辿り着き、最新の記事を探してみると何年も前に更新を終えていたサイトであったことに気づく、ということがある。はじめに挨拶はあっても、おわりに挨拶はない。ただ更新が途切れているだけである。

始めるだけの理由はあっても、終えることにはそれほど大した理由は必要ないのだろう。もしかしたら、本人には終えたという意識すらないのかもしれない。どれだけ言葉を紡ぎ、ひとつの世界を作り上げようと、生きなければならない現実は常にそこにあり、ややもすると引き戻されてしまう。

それは必ずしも悲しいことではないだろう。現実生活が充実するあまり、もう言葉が要らなくなったのかもしれないし、ここから逃げさえすれば自分の何か大切なものを守ることができるのかもしれない。けれども、そうした瞬間に立ち会うと少し心が冷える。この人は今も楽しく生きているのだろうか。本当は何か続けられない事情でもあったのではないか。

今朝、若い人の訃報に接した。いくつも歳の変わらない彼は、最後にどんなことを思っただろう。それが最後だと自覚し得ただろうか。もしかして、彼にとってそれは終わりではなくて、何かを守り、続けるための選択だったのだろうか。

自ら命を断つことを、真っすぐな瞳で「それは間違った選択だった」ということのできる人が羨ましい。あと、どれくらい、まともに生きることができるだろうかと思う私は、言葉に縋って、今日を生きるのに精一杯である。けれども、こういう場があって良かったと今は言いたい。いずれは途切れるやもしれぬ縁を握りしめて、まだ生きたい。